宇宙にはいくつもの種族がいて、そのうちレプティリアンが人間を支配したり悪さをしているという話を、よく陰謀論やスピの世界では聞きます。
なぜこんな存在を高次元の存在や神のような存在は裁かないのか、放置しているのか・・・という話を昨晩何かの動画で見たんですが、なんとなくこうではないかという自分の見解を書いてみます。
まず、彼らが闇だとして、その「闇」という認定は人間基準だということです。
たとえば、人間も動物を食べたり、自然の摂理に反することもして地球の調和を見出したりもしているので、動物や自然からすると人間も闇の存在だと認定されるかもしれません。
しかし現象界ではそのように思えても、人間と動物は食べる食べられるという同意を、魂や上の次元ではしているそうです。なのでここにあまり罪悪感を持ちすぎる必要はないということかもしれないし、同じようなことが彼らと人間の間にも言えるかもしれません。
一部の人間に関しては、いたずらに他者の自由意志を侵害することをしますし、その種族においても同じことが言えるらしいです。
もうひとつは、彼らは宇宙やエネルギーが現象化、物質化する過程で必然的に生じた存在だということです。
完全に統合された光やエネルギーが分離して現象化していくので、その過程で闇と光に分離する過程も当然ながらあるわけです。なので、彼らは闇の方に生じたわけです。
なので、世界の創造主としても、自分が発動させた原理や摂理によって彼らが生じたので、そう簡単に裁くわけにもいかないし、神の責任でもあるし、神の子たちでもあるわけです、たぶん。
ともかく、そういう存在も摂理の一部として存在するしかないのかなと思います。
究極的には、外の世界は自分の内側の投影なので、外に見える闇の存在は自分の中の何かの投影物という説明の仕方もできるかもしれません。
最初の話に戻ると、ここのところ菜食や動物の肉に代わるタンパク質の食品の研究が進んでいるのも、やはり私たちの中のそういった部分を中和していこう、統合していこうという流れなのかもしれません。
その動画では彼らによる支配は終わり始めていると言っていましたが、私たちの闇が薄まることと、彼らの支配が終わり始めていることは、何かしら呼応したり、投影しあったりしているのかもしれません。
上に書いたように、闇というのはある種の必然でもあるので、肉食に関しても不必要な消費は見直しつつ、感謝して食べさせてもらったらいいのかなと、そんな感じかなぁと思います。